p.2 音楽って何だろう?
孔子

音楽は、人間を完成させるもの。
興於詩、立於礼、成於楽。(『論語』より)

孔子 思想家
中国の春秋時代の思想家で、儒教の祖とされる。魯(現在の山東省)で生まれて出世したが、祖国では理想が実現できなかったので、諸国を回って道を説いた。しかし結局は故郷に戻り、弟子たちの教育に従事しながら没した。その思想の中核にあるのは「仁」で、心の底から湧き起こる他者への思いやりが、独りよがりにならず社会とも調和する道徳である。孔子の言葉を集めた『論語』は、中国のみならず東アジア全域で広く読まれた。

【解説:土田健次郎】
 孔子(B.C.552または551~B.C.479)に次のような言葉があります。「詩に興り、礼に立ち、がくに成る(詩の学習から始まり、礼の講習で一人前になり、音楽の修得で完成する)」(『論語』たいはく)。ここでは音楽は教育の最終段階に置かれています。ただ孔子の時代、詩は音楽にのせて歌うのが普通でしたから、最初に詩を学ぶ時点で既に音楽の手ほどきを受けている可能性があります。それゆえ孔子よりあとの文献ですが、『らい』内則では、13歳で音楽と詩を学ぶとしています。もともと孔子自身が音楽愛好者でした。孔子は斉の国で《しょう》という音楽を聴いたとき、あまりに感動したため3か月の間は肉を食べてもその味がしなくなったほどでした(『論語』じゅつ)。この《韶》という曲は、古代の伝説上の聖王のしゅんの音楽と伝えられていたものですが、孔子は周の武王の音楽の《武》と比較したうえで、《武》が美しか尽くしていないのに対して《韶》の方は美と善の両方を尽くしていると評価しています(『論語』はちいつ)。つまり孔子にとって音楽とは単に楽曲の美しさにとどまるべきものではなく、道徳的効果を期待するものだったのです。それゆえ先に引用したような、教育は「音楽の修得で完成する」という語も出てきたのです。そもそも孔子は、「書」と「詩」と「礼」を中心に教えていました(『論語』述而)。音楽はこの「礼」と一体とされることもあり、「礼」の学習の際には音楽の兼修が求められました。「礼」は個人の礼儀作法のみならず集団儀礼、国家儀礼も含むもので、儀式の際には音楽が演奏されたのです。「礼」の実践には上下の序列を厳守することが求められるため秩序性が強く出るのに対し、音楽の方には全体と調和する効果が期待され、それゆえ「和」という語によってその意義が語られることも多かったのです(例えば『礼記』がっ)。音楽は個人の情操を豊かに育むとともに、他者との調和をもたらすものだったのです。